てぃーだブログ › 浮世離れの他人事

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2020年03月07日

他人事じゃない

3月7日、日曜日、雨

昨年の10月31日の未明に首里城焼失

2020年が始まり、1月8日には県内で豚熱が確認され

2月20日には県内で新型コロナウィルスの感染者が確認され

世界的な感染拡大の中、

全国的にも今後どうなるのか不安な状況が続いている

次回の再開の時には、事態が終息していることを祈りつつ

今回のブログを閉じる  


Posted by 浮世離れ at 22:42Comments(0)

2019年09月07日

令和元年に浮世離れの他人事

五月から新元号『令和』が始まった。

まだ、半年も経っていないのに、案外馴染んでいる。

「昭和」から「平成」に変わった時にはかなりの違和感が

あったそうだが、今回は四月には新元号が発表されたので

心の準備ができていたという事だろうか。

それとも、社会の変化が激しすぎて、元号の変化もその変化の

一つとしてあっという間に消化されてしまったのだろうか。

僕もその変化の荒波にもまれながら、大海に漂う一人であるが、

今回はタイトルを「浮世離れの他人事」に変えて出発である。

近頃は創作活動も完全にフリーズしてしまった感がある。

勢いをつけるために、中学の時に買ったエレキギター以来、

21年ぶりに新しいエレキギターを買ってはみたものの、

ちゃんと弾くわけでもなく、飾ってある。

アコースティックギターも2、3年前から弦も張らずにそのままである。

今回のブログはそういった状況を変える、一つのきっかけにしたいのである。

なるべくこまめに近況を綴っていく中で

創作活動につなげていければと思っている。

という事で近頃は、車の中でひたすら前川清の曲を聞いているのである。

歌謡曲のあれぐらいのテンポがちょうど良くなってきているようである。

昨日は弟の家に栄養ドリンクを持って行った。

連絡が取れなかったので家まで行ってみたのである。

元気にしていたので良かった。

以前、僕もなった肺気胸に弟もなっており、近々手術するそうである。

痩せている人がなりやすい肺気胸であるが、弟もかなり痩せている。

僕は手術以来、着実に体重を増加させ、

今や80キロの大台に乗せたのである。

さて、家に行った時に僕は栄養ドリンク一本を持って行ったが

弟からはネクタイをもらった。

まだ、袋に入ったままで中はちゃんとみていない。

という感じで、あなたにとっての他人事、「浮世離れの他人事」

今日からスタートです。

  


Posted by 浮世離れ at 22:34Comments(0)

2019年03月07日

平成の終わりに

いよいよ4月には新しい元号が発表され

5月には改元となる。

今回は「平成最後の浮世離れの独り言」という事で

昨年の9月7日にスタートしたが

あっという間に半年が過ぎ、

本日が平成最後の記事という事になる。

平成の終わりに、平成を総括するような

レポートでも書いていきたいと思っていたが

結局、今回も少ない投稿となってしまった。

ここ何年かはしっかり記事が書けていない事を

非常に残念に思っている。

昨年は1曲も作曲も出来ずに終わってしまった。

また、きっといい曲を創っていく事、

新しい展開を自分の意思で切り開いていける

浮世離れとなる事を期して

平成最後の浮世離れの独り言を閉める。

  


Posted by 浮世離れ at 00:42Comments(0)

2018年10月01日

フェイクニュース

アメリカの大統領選挙でトランプが選挙戦の中で使って

有名になっていった言葉である。

トランプは既存のメディアの報道をフェイクニュースと罵り

自身の声をツイッターを通して国民に訴えていった。

果たして世の中に溢れるニュースや報道は本当に真実であろうか

全部フェイクニュースなのではないだろうか

そんな疑いすらでてくる。

「全部ウソ」という詩もそんな想いから

作った詩である。

仮想現実がみるみるうちに実体化していって

現実と混ざり合って訳が分からなくなりそうな

昨今である。

フェイクニュースだろうと、

満足させてくれる内容であれば、それでいいという人も

出てくるかもしれない。

本物だろうと偽物であろうと満足させてくれるものに

価値があるのだとしても

思い通りにいかない現実を

少しづつでも変えていける奇跡の価値には

遠く及ばないだろう。

  


Posted by 浮世離れ at 18:25Comments(0)

2018年09月30日

全部ウソ

テレビも新聞も全部ウソなら

教科書もネットも全部ウソさ

政治や宗教が全部ウソなら

善も悪も全部ウソさ

まだ誰も知らない世界があるなら

ウソも本当もない世界があるなら

それも全部ウソさ

目の前にある現実

ただそれだけが

真実を求める 唯一の手がかりで

現実を変えていく事でしかウソを壊せない

  


Posted by 浮世離れ at 19:01Comments(0)

2018年09月07日

平成最後の浮世離れの独り言

あっという間に2018年9月7日となってしまった。

前回の投稿から1年が経ったのである。

いつも、3月7日より再開していたこのブログであるが

今年は完全に3月7日をスルーしてしまったのである。

始まったばかりだと思っていた、

平成最後の年も

いつの間にか9月に入ってしまった。

今回のブログは来年の3月7日までの予定であるが、

それまではまだ平成のままであろう。

慌ただしく過ぎ行く日々であるが、

しっかりと毎日を噛み締めながら

今回の平成最後の浮世離れの独り言を

綴っていきたい。

ゆたしく。

  


Posted by 浮世離れ at 19:42Comments(0)

2017年09月07日

2017年9月7日という日

あっという間に9月7日となってしまった。

今年もほとんど記事を投稿できなかったのである。

5月3日の投稿から、すぐに9月7日にきてしまったのである。

慌ただしい日々であったのは確かである。

と、去年の9月7日とほぼ同じ文面の状況なのである。

そして、最近の近況として、「シンゴジラ」のブルーレイを購入し

2回観たのである。

5月3日に沖縄の政治チャネルとしての”antiKOKKA”を宣言したものの

結局、何もできていないのである。

世界情勢としては、北朝鮮のミサイル発射が国際社会の緊張を

高めているのである。

僕がやらないといけないことはたくさんあるはずである。

先日、10年ぶりにお世話になった先輩と連絡をとったのである。

いろいろ想うところがあったのである。

僕もしっかり物作りをしていかなければ。

もっと厳しく創作活動に向き合わないといけないが

怠け者根性が勝ってしまうのである。

来年もこのブログを継続できるかも怪しいぐらいであるが

そこは僕の頑張りどころであるが、来年の3月7日を覚えていられるかも

問題なのである。

今日のブログも昨日、思い出さなければ、完全にスルーしてたのである。

しっかりしろよ、浮世離れ!と自分に活を入れて

今回のブログを終了する。


  


Posted by 浮世離れ at 21:43Comments(0)

2017年05月03日

5月3日という日

本日、日本国憲法が施行されてより70年の節目を迎えた。

去年の5月3日、僕は32歳でmulti birth recordの代表を宣言した。

そして今年、僕は33歳の5月3日を迎えた。

テレビで安倍総理は憲法改正への決意を述べていた。

そして、具体的に2020年に憲法改正を成し遂げるという

目標まで掲げたのである。

総理の想いとして、憲法の改正をもって日本の戦後を終わらせる、

いわゆる戦後レジームとやらを終らせ、新しい日本の出発を成し遂げたい

というのがあるのだろうか。

たとえ憲法改正をしたとしても、沖縄に米軍基地があるかぎり、

戦後は終わりじゃないというのが僕の主張である。

その意味では、沖縄は日本の国家という意識のなかから

疎外されていると感じるのである。

戦後の奇跡の経済成長を成し遂げた日本は

沖縄を国家の枠組みから外したまま

もはや戦後ではないと言い放ったのである。

そして、日本の戦後が終わったあとに、

戦争の負の遺産を全て背負わされた沖縄が

日本に復帰してきたのである。

だからこそ、沖縄は日本という国家と向き合いながら

沖縄の戦後を終わらせるために戦うのである。

そこで、本日multi birth recordの中に

沖縄の政治チャネルとして、ここに、

”antiKOKKA”を立ち上げることを宣言するのである。

沖縄の視点による、政治メディアとして情報を発信して

いきたいと考えるのである。

  


Posted by 浮世離れ at 23:14Comments(0)

2017年03月18日

ナンゴクジョウチョ

「悲しき南国」はもう10年以上も前に書いた詩なのである。

南国とは、もちろん僕の住むこの沖縄の事なのである。

海のほうから聞こえる笑い声はいったい誰のものだろうか。

戦後何十年経っても変わらない沖縄の混沌をよそに

本土の人々は早々と戦後を終わらせて、

経済的な幸福に酔って笑い転げているのではないか。

僕のそういった想いを詩にしたものだろう。

「悲しき南国」というタイトルは

レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の影響を受けているのである。

レヴィ=ストロースは文化人類学者で、

僕が大学時代に社会人類学を学ぶ中で知ったのである。

「悲しき熱帯」自体をちゃんと読んだわけではないが

僕の南国に対する悲しみの想いに、

「悲しき熱帯」という言葉の響きはピッタリきたのである。






  


Posted by 浮世離れ at 00:28Comments(0)

2017年03月16日

悲しき南国

その国は嘆きに満ちている

たえず銃をつきつけられ 選択をせまる

空は青 燃える太陽が 地をこがす

海のほうからは笑い声

きっと、みんな想ってる

”何故、こうなってしまったんだ”

相変わらず 海のほうからは笑い声

この国を捨て

海の彼方から、この国を見直せば

あの冷酷な青空も太陽も

うとましくなく

楽園の証しとなる 悲しき南国


この国の歴史は静かに何も語らず

イメージというマジムンが

呪いの言葉を狂ったように叫んだり

快楽の笑みを浮かべ狂ったように踊ったり

生まれたときからこんな調子

そして自分に言い聞かせる

”これが浮世というものさ”

相変わらず 海のほうからは笑い声

南海に浮かぶ この国で

今日も、地の底から聞こえる嘆きの唄

その唄にのって この国は

南風と海流の中で時空をさまよう

楽園を追い求める 悲しき南国

2006/7/1  


Posted by 浮世離れ at 23:20Comments(0)

2017年03月14日

ニンゲンノイトナミ

僕が「営みを失った僕たちへ」の詩を作ったのは、

2014年10月26日であった。

その日に何があったのか、最早覚えてはいないが、

僕が何か感じるところがあってこの詩を

書いたのは確かなのである。

この詩で伝えているのは文明の虚しさである。

文明の進歩によって、

僕らの行為は、営みから消費に変わってしまった

嘆きの詩でもあるのだろう。

「僕は文明をかなしんだ」と言ったのは

僕の好きな沖縄の詩人、山之口獏さんである。

果たして、僕らの消費生活は人類にとって意味は

あるだろうか。

果たして、僕らの文明的労働は人類にとって価値は

あるだろうか。

後戻りのできない歴史において、

僕は僕の消費生活が人間として営みとしての意味を

感じれるように、

僕の文明的労働が人間の営みとしての価値を

創造できるように、

日々を丁寧に、大事に、祈りとともに生きたいのである。
  


Posted by 浮世離れ at 21:04Comments(0)

2017年03月12日

営みを失った僕たちへ

生きるために地を耕し、はたを織り、漁をする

生きるために祈り、歌い、踊る

否、それは生きるためなどではなく

生きるという人間の営みそのものであり

それは生命に与えられた意味だったのである

だからこそ彼らは休むことなく、ただ黙々と

その営みを続けてきたのである

彼らは生きる意味を考えることも、求めることも

その時間すら許すことなく

意味そのものの中にただただ夢中で生きていたのである

しかし、彼らはその営みを抱いて死んでいった

否、僕らが彼らにその営みを抱かせて殺したのか

いずれにせよ、人間という生き物の営みは失われ

僕たちにはただただ無意味な時間が残されたのである

そして、その有り余る時間を使って

僕らは生きる意味や何をすべきか考えて

行きついたのは、ただ消費するという行為だったのである

ただただ、時間を消費し、物質を消費し、命を消費するという

失われた彼らの営みよりもはるかに空虚で儚い行為に

僕らはこれから生きていかなければならないのである

失うという事は、二度と戻らないという事なのである

消費するという事は、また生産すればいいという事である

失われたものは惑星の寿命よりも重く

消費されたものはチリやホコリのように軽いのである

僕らが失った営みは

僕らが何億年、消費を続けても、その価値を取り戻せないのである

営みとは想いをつないでいくことであり

想いをまもっていく事なのである

消費とはロウソクの火を吹き消すように、灯りが消え、

スイッチを押すと電気がつき、

そして、ただただ無意識に電気をつけたり、消したりを

繰り返していく事なのである

そして、火の温かさを忘れ、太陽の有難さを忘れ、

闇の怖さを忘れていくのである

そして、終には人間である事すら忘れ

生産と消費という

機械的な輪廻(サイクル)のメリーゴーランドに乗せられ

時間という概念すら無くなって

怒りも、憎しみも、悲しみも、苦しみも失って

ただただ笑って過ごす事を要求されるのだとしたら

僕はあの失われた人間に会いにいきたい

2014/10/26  


Posted by 浮世離れ at 01:07Comments(0)

2017年03月10日

オキナワドリーミング

昨年の年末に「OKINAWA Dreamin'」の詞を書いたのである。

それは、僕の好きな曲である、

ママス&パパスの「California Dreamin'」のような曲を

作りたいと想ったからである。

しかも、オキナワを舞台にしたまさに、

「OKINAWA Dreamin'」を作りたかったのである。

ということで、初めに曲名ありきで、

詞を考えていったのである。

共通しているのは「灰色の空」である。

僕は以前にもこのブログで書いたが、

沖縄の灰色の曇り空が

あの淋しい、哀愁漂う感じが好きなのである。

太陽照りつける青い空に、青い海よりも、

リアルな沖縄が灰色の空の下にはあるのである。

それは、きっと、カリフォルニアの灰色の空にも

通じるものだと想うのである。

そして、沖縄の景色が流れていくような

ロードムービのような曲にしたかったのである。

そして、いろいろ試しながら、

年が明けて曲をつけたのである。

「California Dreamin'」とは全く違う感じだが

僕なりに、様々な想いをのせた曲となったのである。

忙しい日々ではあるが、

どうにか曲を作っていこう。

「OKINAWA Dreamin'」もアレンジをしっかり練って

レコーディングしたいものだが、時間がかかりそうだ。



  


Posted by 浮世離れ at 00:27Comments(0)

2017年03月08日

OKINAWA Dreamin'

那覇の港から 車を走らせ

灰色の空の下 国道を北へ

たどりついた城跡で

古の時の中に眠る人を想う

声も届かない程のこの風は

あの頃と変わらないのだろうか

灰色の空の下

古の城を見つめ

吹き荒れる風の中

明日を問う

I'm looking for OKINAWA Dreamin'


中部の城跡から 車を走らせ

灰色の空の下 国道を北へ

たどりついた海辺で

時代の波に漂うこの島を想う

声も届かない程のこの風は

あの頃と変わらないのだろうか

灰色の空の下

群青の海を見つめ

吹き荒れる風の中

未来を問う

I'm looking for OKINAWA Dreamin'

  


Posted by 浮世離れ at 22:06Comments(0)

2017年03月07日

浮世離れの独り言 2017

本日より、「浮世離れの独り言2017」を始める。

怒濤のような半年が過ぎ、

いつの間にか立場が変わってしまった僕が

今、ここに在るのだが、

この、ブログにおいては、あくまでも

multi birth recordの代表の浮世離れとして、

変わらずに想いを綴っていこうと決意しているのである。

特に、今回は詩のほうに力を入れていこうと考えているのである。

僕が10年以上、相も変わらず続けていること、

それが、詩を書き、曲を作ることなのである。

それを、忘れないように、

このブログを通して、作品を出していこうと思うのである。

今回は、過去の詩もいろいろ紹介していこうと思う。

そして、その中で僕が絶対的に信じている、

文化の力、音楽の力、詩の力というものを再確認していければと

思うのである。

宗教も政治も、経済も社会も全て人間が生み出したものである。

その人間を圧倒的な力で変革することができるのが、

文化であり、音楽であり、詩なのである。

そして、その文化や音楽や詩を生み出す、人間そして民衆こそが、

この世界を変革する、唯一の絶対的な答えなのである。

きっと、政治も、宗教も、経済も答えは出せないのである。

だからこそ、僕は、政治や宗教や経済よりも、

人間を、圧倒的な人間の力を、全てを包み込む民衆の力を

その無限の可能性を信じるしかないのである。




  


Posted by 浮世離れ at 23:48Comments(0)

2016年09月07日

9月7日という日

あっと言う間に9月7日となってしまった。

今年はほとんど記事を投稿できなかったのである。

5月3日の投稿から、すぐに9月7日にきてしまったのである。

慌ただしい日々であったのは確かである。

本当に時が過ぎるのは早いのである。

近況としては、「シンゴジラ」を2回観たのである。

僕は何を生み出すべきなのか、しっかり考えないといけないのである。

作品作りがおろそかになっているのは事実である。

それでも、戦略はしっかり持っておかなくてはいけないのである。

音楽、小説、ドラマ、映画、舞台、農業、投資、畜産、経営、政治

あらゆる次元の戦略を練っていこう。

時を逃さないようにしっかり準備をしていこう。

次回、僕がもっと攻めていることを期待しつつ、

今回のブログを終了する。  


Posted by 浮世離れ at 22:11Comments(0)

2016年05月03日

5月3日という日

昨日は仕事が終わり、会社を出たあとに電話があり、

僕が仕事でミスをしたことの指摘があったのである。

若干、へこみつつ、迎えた5月3日なのである。

僕は相変わらず、ボロボロで風呂場の排水の悪いアパートで暮らし、

仕事も続けているのである。

去年の5月3日は僕の思い描いてた形にはならなかったので、

それを、今年の5月3日に持ち越したわけだが、

状況は良くないのである。

さて、昼飯を食べに食堂に行くと、

隣の席に、前の職場でお世話になった上司がいたのである。

久しぶりの再開で話は弾んだのであるが、

思えば、前の職場を辞めて、今の職場に移って、もう6年が経とうとしているのである。

僕も、20代を終えて、32歳になったのである。

前の職場を辞めた当時、僕は、創作活動に本格的に取り組もうと考えていたのである。

僕はいつでも、創作活動への思いはあるが、なかなか形にできていないのである。

もっと、たくさん曲も創らないといけないし、脚本も書こう書こうと考えていたし、

小説だって書かなければと思っているのである。

そして、いろんな企画も立てて、動いていこうと考えてはいるのである。

その意味で言うと、この6年間は敗北の日々だと言うこともできるのである。

創作活動において、成果物が全てだとすると、

僕がこの6年で作り出した物は、僕の期待をはるかに下回るものなのである。

全く、何も生み出してはいないかというとそうではないのだが、

全然足りないのである。

思えば、大学を卒業し、舞台活動が一段落し、愛知県に出稼ぎに行ったときにも

僕は同じような事を考えていたのである。

あの時は、愛知からそのまま東京に出て、音楽活動をしようと考えていたくらいである。

それでも、僕は沖縄に戻り、生活のために仕事もしながら、

相変わらず企みだけは胸に抱きつつ生きているのである。

ということで本題に入っていきたい。

僕の企みとは何か、

それは、5月3日に起業し、その代表となることである。

そして、その5月3日が今日なのである。

僕は今日を迎えるまでに、宝くじでも当たって、

創業資金が転がり込んではこないかと期待もしていたのであるが

先週購入したロト7の8億円は僕のところには来てくれなかったのである。

そして、仕事でもミスをするし、一昨日から下痢も続いているのである。

状況は決して良くないのである。

何かを始める時、明らかに状況が悪い場合どうするか、

今の僕がそうであるが、さて、どうしようか。

もちろん、僕はこの状況を想定をしていたし、

この状況となる確率のほうが相当に高いというとことも自覚していたのである。

それでも、だからこそ、僕は意地でも今日という日に宣言しようと決意し、

今回、このブログを綴っているのである。

どんな状況であれ、どんな形であれ、

僕は5月3日に起業し、代表となると決めたのである。

ということで、

ここで、僕はレーベルを立ち上げ、その代表となることを宣言する。

その名も

multi birth record (マルチバースレコード)

漢字表記は 多元宇宙記録 である。

事業内容は、コンテンツ制作とその権利の管理である。

コンテンツとは、音楽、著作、舞台、映像などのあらゆる表現作品である。

現在、レーベルに所属するアーティストは

代表の僕のみである。

今までは、浮世離れという個人としての創作活動であったが、

これからは、multi birth recordの看板を背負っていくのである。

これまで、僕が作った100曲以上の楽曲や、著作物は、

multi birth recordというレーベルで管理していく。

このレーベルの構想は以前からあったのである。

今回のレーベルの立ち上げを明確に決めたのは、

去年の5月3日である。

その日、僕は「疾風怒濤の唄」を創ったのである。

そして、とにかく何が何でも、どういう形であれ、無理矢理でも

来年の32歳の5月3日にレーベルを立ち上げようと決めたのである。

ということで、

2016年5月3日

本日を以て、僕はmulti birth recordの代表に就任することをここに宣言する。
  


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2016年03月26日

「丘の一本松」を観に行った日


先月、両親を連れて北谷のニライセンターに

「丘の一本松」を観に行ったのである。

「丘の一本松」といえば、大宜味小太郎さんの代表作である。

今回はキャストのほとんどが若手にバトンタッチしており、

新しい「丘の一本松」となっているということであった。

僕は、テレビで大宜味小太郎さんの「丘の一本松」を観たことはあったが

生の舞台で観たのは初めてであった。

感想はといえば、とても良かったのである。

うちなー芝居なので、ほとんど方言の舞台であった。

お客さんの年齢層も高く、ところどころ笑いもあった。

もちろん僕の両親も笑って観ていたのである。

僕は方言はあまり分からなかったが、それでも十分伝わったのである。

「丘の一本松」は親子の人情劇なのである。

親が子に厳しくしたり、口うるさくするのは、

子が社会でたくましく活躍してほしいという親の願いと愛情から

くるものであるということを教えてくれる舞台なのである。

また、子は親が口うるさく言ってくるうちは、

親が元気な証拠だと思って有難く話しを聞いてあげなさいとも

教えてくれるのである。

僕もうちあたいするものがあったが、

きっと僕の両親は親としても、子としても思うところがあったはずである。

さて、舞台を見終わったあと、両親と3人でご飯を食べに行ったのである。

もちろん僕のおごりである。ちょっとした親孝行にはなっただろう。

考えてみると、昨年の6月には山原のオジーが亡くなり、

そして、年が明けて1月には、妹の子どもが生まれたのである。

一つの時代が終わり、また、新しい命が生まれ、

時代が創られていくのである。

僕の両親もこれでようやく、おじいちゃん、おばあちゃんになれたのである。

これほどの親孝行はないのである。

妹に感謝したいのである。

甲斐性の無い兄に代わって、しっかり初孫の顔を見せてくれたのである。

これで、僕もまだしばらくは、甲斐性の無いままいれそうである。

  


Posted by 浮世離れ at 23:50Comments(0)

2016年03月12日

人魚に会える日

朝、起きて洗濯をして、家を出て

牧志経由のバスに乗り、

桜坂劇場へと向ったのである。

映画「人魚に会える日。」を観に行った。

主人公は高校生だ。

とにかく基地問題の台詞が多い、

反対とか賛成が行ったり来たりするのである。

主人公の一人である少女「ユメ」の

「分からない」という言葉が印象的だった。

物語は基地問題をモチーフにした、

ミステリアスファンタジーという感じであった。

その幻想的な要素も含めて、

リアリティのある映画だと思ったのである。

高校生という大人でもないが、もう子どもでもない若者の

リアリティがそこにはあったのである。

仲村リュウゴ監督は二十歳なのである。

僕よりもひとまわりも年が若いが、

そこで描かれる若者の姿に僕はとても感じるものがあったのである。

映画とは人それぞれ様々な見方があるが、

僕は映画を見終わって考えてみるのである。

「人魚」とは何なのか。

「ジュゴン」なのか、「生け贄の少女」なのか。

沖縄がこの出口の見えない基地問題の中で、

永遠に続くように思われる基地を挟んだ対立の中で、

全てを解決し、平穏をもたらしてくれる「人魚」を

求めているのも、また真実なのだろう。

最終的にこの映画は基地問題を

どうのこうのという映画ではなかったが、

この映画自体が、映画の中で描かれる「ジュゴン」のような

存在に思えたのである。

間違いなく、沖縄近海を泳ぐジュゴンは、

基地問題を危惧してはいないし、心配もしていないのである。

もしかしたら、例え、基地ができても、

その側にエサさえあれば、泳いで食べにくるはずである。

その無邪気なジュゴンは、

沖縄の「分からない」を連呼する少女の姿に重なるのである。

沖縄の若者のリアリティを描いたというところでは、

二十歳の監督にしか撮れない映画であったし、

二十歳の監督が撮ることで映画の説得力が増すのである。

監督はなかなかスポンサーが集まらず

苦労したと話していたが、

確かに、基地という複雑な問題が取り上げられるだけに

企業がつきにくいのも事実だろう。

それを考えると、

その状況でもこの映画を完成させ、上映までもっていった、

監督のストーリーのほうが、よりドラマチックにさえ思えるのである。

映画を見終わった僕は、

そのまま国際通りを歩き、久茂地のほうに進んだ。

土曜日ということで人も多く、観光客もたくさんである。

道を歩いてると、内地の人のしゃべり声も聞こえるし、

中国語も聞こえれば、韓国語も聞こえる、

欧米の人もいっぱいいる。

その中に、沖縄の人が混じっている感じである。

県民広場では、ノボリが立っているのが見え、

人もたくさん集まっていたので、

基地反対の集会かと思ったら、

ノボリには、「沖縄タイムス」「琉球新報」に×がされていた。

さらに別のノボリには「私たちは日本人です」

というようなものもあり、

近くには翁長知事の写真に×が付けられたポスターや

習近平中国国家主席の写真に×が付けられたポスターもあった。

どうやら国家主義の方々の集まりのようだと思い見ていた。

中で叫んでる声を聞くと、どうやら内地の人のようで、

たくさん人がいるなぁと、しばらく見ていたら、

集まっていた人達がどんどんバスに乗っていき、

結局そこには、4、5人が残ったのである。

集まっていたのは、修学旅行生の団体だったようだ。

内地から来たであろう、高校生の彼らは、

この沖縄の様子を見て、何を感じるのだろうか。

沖縄の県庁前の県民広場で、

「沖縄の人は日本人です」と叫び、県知事を批判する内地の人、

そして、そこに集合場所として集合している内地の修学旅行生、

そして、それを道を挟んで見ている僕。

思えば、映画では内地的な視点は一切無く、

内地の人が出てくることもほとんど無く、

すべて沖縄の人々の視点のみで描かれていた。

それを考えると

僕が帰りに歩いて目にした国際通りや、

県民広場での様子などの、

この現実こそ、十分にファンタジーだなと思いつつ、

僕はまた歩き出したのである。

  


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2016年03月11日

忘れちゃいけない日


東日本大震災から5年が経った。

僕の日常はあたり前のように存在しているのに、

日常が奪われたままの人々がいて、

震災という異常が日常となりつつある現実が

東北にはまだあるのだろう。

僕に何ができるのか。

僕は何をすべきなのか。

僕は何を想うべきなのか。

5年前にも考えたことを、今日も考える。

それでも、僕は僕の日常を生きるしかないとなると、

僕の日常は何て残酷なのだろうとさえ感じてしまうのである。


1月17日、目が覚めた時に浮かんだメロディがあった。

僕はそのメロディに歌詞を寄り添わせて曲を作ったのである。

その日は、阪神・淡路大震災が起こった日である。

その1月17日に浮かんだメロディに、

東北で震災にあった人々を想いながら歌詞をつけたのである。



 〜生きる〜

 忘れちゃいけない 大事な日があって

 その日をさかいに 全てが変わったんだ

 どれだけの涙が流れたのか

 あの日を生きた人なら知ってる


 だからこそ今日も生きるんだ


 人は誰も 悲しみ抱え

 どうしようもなく苦しい日々も

 春を信じて歩く

 明日も生きる事が もしもできるのなら

 どんなささいな幸せでも 喜びに変えていこう

 この願いよ 明日への希望となれ



 忘れちゃいけない 大事な人がいて

 その人がいたから 今があるんだ

 どれだけの月日が流れても

 寄り添い続けた人なら知ってる


 だからこそ今日も生きるんだ


 人は誰も悲しみ越え

 かけがえのない尊い日々を

 命の限り歩く

 明日も生きる事が もしもできるのなら

 どんなかすかな喜びでも 幸せに変えよう

 この誓いよ 明日への希望となれ

 この誓いよ 明日への希望となれ
 
  


Posted by 浮世離れ at 21:10Comments(0)
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