
2017年03月14日
ニンゲンノイトナミ
僕が「営みを失った僕たちへ」の詩を作ったのは、
2014年10月26日であった。
その日に何があったのか、最早覚えてはいないが、
僕が何か感じるところがあってこの詩を
書いたのは確かなのである。
この詩で伝えているのは文明の虚しさである。
文明の進歩によって、
僕らの行為は、営みから消費に変わってしまった
嘆きの詩でもあるのだろう。
「僕は文明をかなしんだ」と言ったのは
僕の好きな沖縄の詩人、山之口獏さんである。
果たして、僕らの消費生活は人類にとって意味は
あるだろうか。
果たして、僕らの文明的労働は人類にとって価値は
あるだろうか。
後戻りのできない歴史において、
僕は僕の消費生活が人間として営みとしての意味を
感じれるように、
僕の文明的労働が人間の営みとしての価値を
創造できるように、
日々を丁寧に、大事に、祈りとともに生きたいのである。
2014年10月26日であった。
その日に何があったのか、最早覚えてはいないが、
僕が何か感じるところがあってこの詩を
書いたのは確かなのである。
この詩で伝えているのは文明の虚しさである。
文明の進歩によって、
僕らの行為は、営みから消費に変わってしまった
嘆きの詩でもあるのだろう。
「僕は文明をかなしんだ」と言ったのは
僕の好きな沖縄の詩人、山之口獏さんである。
果たして、僕らの消費生活は人類にとって意味は
あるだろうか。
果たして、僕らの文明的労働は人類にとって価値は
あるだろうか。
後戻りのできない歴史において、
僕は僕の消費生活が人間として営みとしての意味を
感じれるように、
僕の文明的労働が人間の営みとしての価値を
創造できるように、
日々を丁寧に、大事に、祈りとともに生きたいのである。
Posted by 浮世離れ at 21:04│Comments(0)