
2017年03月18日
ナンゴクジョウチョ
「悲しき南国」はもう10年以上も前に書いた詩なのである。
南国とは、もちろん僕の住むこの沖縄の事なのである。
海のほうから聞こえる笑い声はいったい誰のものだろうか。
戦後何十年経っても変わらない沖縄の混沌をよそに
本土の人々は早々と戦後を終わらせて、
経済的な幸福に酔って笑い転げているのではないか。
僕のそういった想いを詩にしたものだろう。
「悲しき南国」というタイトルは
レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の影響を受けているのである。
レヴィ=ストロースは文化人類学者で、
僕が大学時代に社会人類学を学ぶ中で知ったのである。
「悲しき熱帯」自体をちゃんと読んだわけではないが
僕の南国に対する悲しみの想いに、
「悲しき熱帯」という言葉の響きはピッタリきたのである。
南国とは、もちろん僕の住むこの沖縄の事なのである。
海のほうから聞こえる笑い声はいったい誰のものだろうか。
戦後何十年経っても変わらない沖縄の混沌をよそに
本土の人々は早々と戦後を終わらせて、
経済的な幸福に酔って笑い転げているのではないか。
僕のそういった想いを詩にしたものだろう。
「悲しき南国」というタイトルは
レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の影響を受けているのである。
レヴィ=ストロースは文化人類学者で、
僕が大学時代に社会人類学を学ぶ中で知ったのである。
「悲しき熱帯」自体をちゃんと読んだわけではないが
僕の南国に対する悲しみの想いに、
「悲しき熱帯」という言葉の響きはピッタリきたのである。
Posted by 浮世離れ at 00:28│Comments(0)