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2017年03月12日

営みを失った僕たちへ

生きるために地を耕し、はたを織り、漁をする

生きるために祈り、歌い、踊る

否、それは生きるためなどではなく

生きるという人間の営みそのものであり

それは生命に与えられた意味だったのである

だからこそ彼らは休むことなく、ただ黙々と

その営みを続けてきたのである

彼らは生きる意味を考えることも、求めることも

その時間すら許すことなく

意味そのものの中にただただ夢中で生きていたのである

しかし、彼らはその営みを抱いて死んでいった

否、僕らが彼らにその営みを抱かせて殺したのか

いずれにせよ、人間という生き物の営みは失われ

僕たちにはただただ無意味な時間が残されたのである

そして、その有り余る時間を使って

僕らは生きる意味や何をすべきか考えて

行きついたのは、ただ消費するという行為だったのである

ただただ、時間を消費し、物質を消費し、命を消費するという

失われた彼らの営みよりもはるかに空虚で儚い行為に

僕らはこれから生きていかなければならないのである

失うという事は、二度と戻らないという事なのである

消費するという事は、また生産すればいいという事である

失われたものは惑星の寿命よりも重く

消費されたものはチリやホコリのように軽いのである

僕らが失った営みは

僕らが何億年、消費を続けても、その価値を取り戻せないのである

営みとは想いをつないでいくことであり

想いをまもっていく事なのである

消費とはロウソクの火を吹き消すように、灯りが消え、

スイッチを押すと電気がつき、

そして、ただただ無意識に電気をつけたり、消したりを

繰り返していく事なのである

そして、火の温かさを忘れ、太陽の有難さを忘れ、

闇の怖さを忘れていくのである

そして、終には人間である事すら忘れ

生産と消費という

機械的な輪廻(サイクル)のメリーゴーランドに乗せられ

時間という概念すら無くなって

怒りも、憎しみも、悲しみも、苦しみも失って

ただただ笑って過ごす事を要求されるのだとしたら

僕はあの失われた人間に会いにいきたい

2014/10/26



Posted by 浮世離れ at 01:07│Comments(0)
 
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